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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)1028号 判決 1991年6月06日

原告

横見巖雄

被告

仁村敬

主文

一  被告は、原告に対し、金一七二万〇九四〇円及びこれに対する昭和六一年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを七分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

四  この判決の一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金一二五七万二九一二円及びこれに対する昭和六一年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動二輪車に同乗中、自動車との衝突事故にあつて負傷した者が、民法七〇九条に基づき、自動車の運転者に対して損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

次の交通事故が発生した。

(一) 日時 昭和五九年三月三一日午後八時一〇分頃

(二) 場所 京都市南区久世東土川町一二六番地の一先国道一七一号線路上

(三) 加害車 普通貨物自動車(大阪四六す三七九三号)

右運転者 被告

(四) 被害車 自動二輪車(一大阪け二六一六号)

右運転者 訴外殿護輝芳

右同乗者 原告

(五) 態様 被害車が本件道路の走行車線(左側車線)を京都市方面(北)から高槻市方面(南)に向かつて走行中、本件道路左側(東側)にある駐車場から対向車線に右折進入しようとした加害車と衝突した。

2  責任原因(民法七〇九条)

被告は、路外の駐車場から道路に右折進入するに当たつては、道路を進行中の車両を妨害しないようにその安全を確認したうえ、右折を開始すべき注意義務があつたのに、これを怠り、右方をよく見ないまま本件道路に右折進入した過失により、本件事故を発生させた。

3  原告の受傷及び治療の経過等

(一) 原告は、本件事故により、右膝・腹部打撲、左胸部・頭部打撲挫傷、頚部捻挫、腰部捻挫等と診断され、次のとおり治療を受けた(入院日数六二日、実通院日数二〇五日)。

(1) 洛西病院

昭和五九年三月三一日から同年四月九日まで入院(一〇日間)

(2) 高槻病院

昭和五九年四月九日から同月二〇日まで入院(一二日間)

(3) 第二高槻病院(その後、理学診療科病院に名称変更)昭和五九年四月二〇日から同年五月三一日まで入院(四二日間)

昭和五九年六月一日から昭和六一年一二月二二日まで通院(実通院日数二〇五日)

(二) 原告の症状は、昭和六一年一二月二二日、理学診療科病院の宮本琢磨医師により、嘔気、頚部運動痛等の症状を残して固定したと診断されたが(以下「本件後遺障害」という。)、本件後遺障害は、自動車保険料率算定会損害調査事務所により自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「後遺障害別等級表」という。)に該当しない(非該当)とされた。

4  損害の填補(一部)

原告は、損害の填補として次の支払いを受けた。

(一) 治療費として二九四万〇一一〇円

(二) 入院雑費等として八万〇四四〇円

(三) 損害賠償内金として二〇万円

二  争点

1  相当な治療期間(本件事故と相当因果関係のある治療期間)

〔被告の主張〕

本件事故と因果関係の認められる治療期間は六か月程度に過ぎない。

原告は、本件事故後、本件事故とは関係のない壊疽性アンギーナや上気道感染症(咽頭炎、扁桃腺炎)に罹つたりしているうえ、原告やその家族の過剰反応、治療過程における心因反応が原告の症状の回復を遷延化させていたもので、これらによる治療の長期化と本件事故との因果関係は認められないというべきである。

2  原告の後遺障害の有無、程度

原告は、自覚症状として嘔気、頸部運動痛等の頑固な神経症状が残され、他覚症状として頸部後屈にて軽度制限、疼痛が認められ、これは後遺障害別等級表一二級一二号に該当すると主張するのに対し、被告は、原告には後遺障害別等級表に該当するような後遺障害は認められないと主張する。

第三争点に対する判断

一  本件事故による相当な治療期間、原告の後遺障害の有無、程度

1  原告の受傷内容、症状及び治療の経過

前記第二の一の争いのない事実に、証拠(甲ないし八号証、九号証の2ないし11、一〇ないし二三号証、二四号証の1ないし13、二五、二六号証、二八ないし三〇号証、乙一号証、六号証、原告本人)を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 殿護(昭和四二年三月二九日生まれ、当時一七歳)は、後部に原告を乗せ、時速約六〇キロメートルの速度で本件道路の左側車線を直進中、前方約二八・六メートルのところを加害車が路外の駐車場から本件道路に右折進入しようとしているのを発見し、あわてて急ブレーキをかけたところ、被害車がバランスを失い、転倒しながら加害車右前部側面に衝突した。原告(昭和四一年一〇月九日生まれ、当時一六歳)は、被害車から投げ出され、加害車の右前フエンダー部に激突したのち、路上に転倒し、意識を失つた。

原告は、本件事故後直ちに洛西病院に救急搬送され、右膝打撲挫創、心窩部打撲、胸腹部内臓損傷の疑いにより約三週間の安静加療を要する見込みと診断された。殿護も同じく路上に投げ出されて意識を失い、同病院に救急搬送されたが、左背部打撲及び擦過傷、左第四ないし第六肋骨骨折、腰部椎間板損傷により約一か月間の安静加療を要する旨診断された。

なお、原告及び殿護は、本件事故当時、ヘルメツトを着用していた。

(二) 原告は、洛西病院において、安静のうえ、点滴、湿布、投薬等の治療を受けていたが、原告及びその家族が同病院の治療内容や設備等に不満を持つて転院を希望し、昭和五九年四月九日、高槻病院外科に転入院した。原告は、同科において、当初は主として腹部の症状に対する治療を受けていたが、精査の結果、腹部に著変は認められず、その症状も軽快したとされ、同月一八日、頸部の症状に対する治療のため、同病院の整形外科に転科した。その当時、原告の頸部の症状は、前屈はほぼ正常であつたが、後屈に軽度の制限があり、運動時痛を伴つており、また、ジヤクソンテストは陽性、右側頸部筋緊張、圧痛等の所見が認められた。

(三) 原告は、同月二〇日、頸部や手首、右膝に対する本格的なリハビリ治療をするために理学診療科病院(第二高槻病院)に入院し、そこで投薬、機能訓練、ホツトパツク、頸椎牽引等の治療を受けたが、レントゲン写真撮影の結果、頸椎第三番、第四番に軽度の不安定性が認められたものの、神経学的には異常がなく、疼痛も次第におさまつたため、同年五月三一日、同病院を退院した。

(四) 原告は、同年六月一日から通院して投薬、湿布、神経叢ブロツク注射、運動療法(簡単)等の治療を受けたが、当時の症状は、頸部痛、嘔気等が中心であつた。

ところが、原告は、同年六月一〇日、壊疽性アンギーナに罹患して修仁会病院に同月一九日まで入院し、その後、同年七月二〇日から同月三一日までの間、上気道感染症(咽頭炎、扁桃炎)(リウマチ熱の疑い)で理学診療科病院に入院したが、これらの症状は、右各入院により軽快した。

(五) 原告は、その後も理学科診療所病院に通院して投薬、頸椎牽引、運動療法(簡単)等の治療を受け、同年一一月二日には、疼痛はほとんどないが頸椎にだるさがある、運動すると吐くなどと訴え、同年一二月三日には、嘔気、全身倦怠感、頸椎後屈時にて疼痛、腱反射やや亢進(知覚異常はなし)と診断された。そして、その後も同様の治療を受けていたが(ただし、昭和六〇年四月ないし七月は運動療法と検査のみで投薬はなく、その後、同年七月、八月に投薬治療を受けたが、同年一〇月以降、治療はほとんどは運動療法であつた。)、原告の症状は、「なお嘔気等のバレール症候残存し、一進一退なるも経過はやや良好」とされる状態が続いていた。

右のとおり、原告は長期にわたつてほぼ同内容の治療を受けていたが、昭和六一年三月中旬頃には、症状は軽快し、頸部不安感、嘔気等が軽度残存しているが、最近は症状が一定し、ほぼ症状固定の時期と考えられると診断されるに至つた。しかし、原告は、その後も嘔気、頸部の痛みやだるさ、左第四指の痺れ感等を訴えて治療を受け続け、昭和六一年一二月二二日に至り、同病院の宮本医師により、嘔気、頸部運動痛等の自覚症状を残して症状が固定した旨の診断がなされた。

(六) 原告の自覚症状はその後も残存したが、それは徐々に軽快し、平成元年三月当時には、吐き気も治まり、頸部にときどき激痛があるものの、痛みは少なくなつた、激しい運動や長時間下を向いて仕事をすると項部や肩に痛みや凝りが出るなどと訴えていた。そして、原告は、平成二年五月七日に後記鑑定人による診察を受けたが、その際、頸部に倦怠感、緊張感があり、日常生活には大きな支障はないものの、頸部を前屈して仕事をしていると自覚症状が増悪するなどと訴えていた。

2  相当な治療期間(本件事故と相当因果関係のある治療期間)

(一) 前記のとおり、原告は、本件受傷を原因として約二年九か月間(うち入院約二か月間)にわたつて治療を受けたものであるところ、リハビリ治療が開始された以降は、長期間の治療にもかかわらず、原告の症状に大きな改善は見られず、また、理学診療科病院の医師も、原告の愁訴に応じ、長期間ほぼ同内容の運動療法を継続しており、その効果は対症療法の域を超えないものであつたことが窺える。そして、山形大学医学部法医学教室の鈴木庸夫教授は、原告の症状について、(1)原告は長くとも一〇日以内に治癒する程度の右膝打撲創、胸腹部打撲傷を負つたに過ぎず、頸部捻挫の受傷を否定できないにしても、それは長くて二ないし三か月で治癒する程度のものであつた、(2)右期間を超えて治療が長期化したのは原告の強い心因性反応によるものであり、この点を考慮に入れても、本件事故に起因する相当な治療期間は四ないし六か月とみるのが相当である、また、本件事故による相当な入院期間は一、二週間であるとしている(乙四号証)。

(二) しかしながら、前記1の事実に、鑑定人大阪市立大学医学部整形外科教授島津晃による鑑定の結果及び証人島津晃の証言を併せ考えると、(1)本件事故による衝撃の程度は相当大きいものであり、原告は、本件事故により腹部のみならず頸部にも大きな外力を受け、自律神経失調によるバレー・ルー症状も出たこと、(2)本件のように頸部を受傷したときは、心因的要因によつて症状が拡大したり、治療が遷延化する場合が多いが、本件においても、原告及びその家族(特に、母親)が、現実の負傷の程度以上に本件受傷を重大なものと受け止め、過敏な反応をしたり、初期の治療に不満を持ち、また、本件事故により希望する大学に行けなくなつた等の進路の変更を余儀なくされたといつた不満が残り、これらのことが治療の長期化の要因となつた可能性があること、そして、本件事故による衝撃の程度、原告の年齢等を考えると、このような反応をしたことをもつて直ちに極端な反応をしたものとはしがたいことが認められ、島津鑑定人も、理学診療科病院の医師は、原告の症状の経過等をみながら次第に症状固定の方向にもつていこうとしており、そのための期間として前記の長期の治療期間が必要であつたとしている(島津証言九丁)。そして、原告の自覚症状も一進一退を続けていたものの、全体としてみれば徐々に軽減していつたものと認められ、以上を併せ考慮すると、原告の前記治療を直ちに不相当とすることはできず、前記鈴木医師の所見は採用できないというべきである。なお、原告は、本件事故後、壊疽性アンギーナや上気道感染症(咽頭炎、扁桃炎)により治療を受けているところ、乙一号証、島津証言によれば、本件事故と右発症との相当因果関係を直ちに肯定することができないが、反面、右発症により本件事故による頸部の症状が遷延化したことも認められないので、この点に関する被告の主張は採用できない。

さらに、前記の諸事情、特に本件事故直後の症状の経過に照らすと、原告が理学診療科病院に四二日間入院したことをもつて不必要、不相当な入院を続けたものともいいがたく、この点についての鈴木教授の所見も採用できない。

3  原告の後遺障害の有無、程度

前記のとおり、原告には症状固定の診断がされた当時、嘔気や頸部の運動痛等の症状が残されたところ、前記宮本医師は、原告の後遺障害は後遺障害別等級表一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当すると判断している(甲八号証)。そして、島津鑑定では、同鑑定人が診察した平成二年五月七日の時点(本件受傷から約六年一か月後、症状固定の診断をされてから約三年四か月後)において、前記のような自覚症状を訴えていることなどから、同鑑定人が診察した当時の症状は同表一四級一〇号(局所に神経症状を残すもの)に該当する程度のものであり、時間的経過を考慮すると、前記症状固定当時の症状の程度は後遺障害別等級表一二級一二号に該当するとされている。

しかしながら、前記のとおり、原告の症状は、神経学的異常等の認められない他覚的所見の乏しい自覚症状中心のものであり、しかも、症状固定の診断がされた当時の頸部の可動制限は前屈(屈曲)五〇度(正常可動範囲〇~六〇度)、後屈伸展)三〇度(正常可動範囲〇~五〇度)で、頸部後屈にて軽度制限、疼痛プラスとされているに過ぎず(甲七、八号証)、これに前記症状の経過(特に、時間の経過とともに相当程度改善していること)を併せ考えると、前記鑑定結果及び宮本医師の所見は採用することができないというべきである。ただ、前記のとおり、原告についてはバレー・ルー症状と考えられる嘔気等を含む症状が長期間持続し、しかも、その自覚症状が単なる故意、誇張ではないと認められるので、本件後遺障害は同表一四級一〇号に該当すると認めるのが相当である。これに反する前記鈴木教授の所見(乙四号証)は採用しない。

二  損害額

1  入院付添費〔請求額一万二〇〇〇円〕 一万二〇〇〇円

甲二九号証によれば、本件受傷当日から三日間、原告の実母が付添看護をしたことが認められるところ、前記受傷の内容、程度、原告の年齢等を考慮すると、その付添看護の必要性を肯定することができる。本件事故当時における近親者による付添看護費は一日当たり四〇〇〇円とするのが相当であるから、三日間で右金額となる。

2  入院雑費〔請求額六万二〇〇〇円〕 六万二〇〇〇円

原告の前記入院治療中の雑費として右金額を要した(当事者間に争いがない。)。

3  通院交通費〔請求額六万一五〇〇円〕 六万一五〇〇円

原告は、前記通院のために市バスを利用し、右合計金額を要した(当事者間に争いがない。)。

4  後遺障害に基づく逸失利益〔請求額七五三万七四二二円〕 〇円

前記のとおり、本件後遺障害は後遺障害別等級表一四級一〇号に該当するというべきところ、証拠(甲二八号証、原告本人)によれば、原告は、本件事故当時、大阪府立島本高等学校に在学中であり、本件事故からしばらくの間は学校を休むことが多かつたが、三年生になつてからはだいぶ授業にも出られるようになり、留年することもなく昭和六一年三月に同校を卒業することができたこと、その後、原告は、日本理工情報専門学校に進学し、二年間通学したが、その間、本件後遺障害による欠席、早退等はなかつたこと、そして、原告は同校を卒業後、昭和六三年四月にプラスチツクの製造を業としている大日本ポリマー株式会社に就職し、製品検査と梱包の仕事をしているが、本件後遺障害による欠勤はないことが認められ(なお、原告は、平成元年三月一六日に行われた本人尋問の際、前記専門学校の授業を休んだり、気分が悪くて早退したこともあつた旨供述するが(33~35項)、昭和六三年一一月一七日に行われた尋問の際の供述(1~3項)に照らし、信用することができない。)、これに前記原告の自覚症状の変遷等を併せ考慮すると、本件後遺障害により、原告が若干の不便、苦痛を感じながら仕事に従事していたことが窺われるが、それによる欠勤もなく、現実に給与を減額されたり、昇給、昇格に影響があつたことも、また、将来、そのような財産上の不利益を被る蓋然性があることも認めることはできないというべきである。

したがつて、本件証拠上、本件後遺障害によつて原告が労働能力を一部喪失し、そのために現実、具体的に財産上の損害を被つたり、将来被るおそれがあるとまでは認めることはできず、原告に逸失利益が生じたとすることは困難である(ただし、原告が前記のような不便、苦痛をおして仕事を継続してきたことは慰謝料算定に当たり斟酌することとする。)。

5  慰謝料〔請求額入通院分二五〇万円、後遺障害分二四〇万円〕 合計一八〇万円

本件事故の態様、原告の受傷内容、程度、症状の経過、後遺障害の内容、程度、前項掲記の事情その他諸般の事情を考慮すると、本件事故による原告の慰謝料は、一八〇万円(入通院分として八〇万円、後遺障害分として一〇〇万円)とするのが相当である。

(以上1ないし5の損害額合計 一九三万五五〇〇円)

三  損害の填補

前記のとおり原告は損害の一部について填補を受けているところ、弁論の全趣旨によれば、前記入院雑費等八万〇四四〇円のうちの六万五八八〇円は昭和五九年四月三日から八日間職業付添人を付けたことによる費用であるから(前記受傷内容及び程度に照らし、本件事故による相当損害と認められる。)、本件請求と対応するものとして控除すべき填補額は入院雑費分の一万四五六〇円及び損害賠償内金の二〇万円というべきである。

そこで、右合計金二一万四五六〇円を前記損害合計額から控除すると、残額は一七二万〇九四〇円となる。

四  結論

よつて、原告の本訴請求は、被告に対し金一七二万〇九四〇円及びこれに対する不法行為の日の後である昭和六一年一二月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを認容するが、その余は失当であるから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 二本松利忠)

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